宇和島市の事...vol.3

宇和島市の事

第3回目は、宇和島藩10万石の初代藩主『伊達秀宗』

『秀宗』の宇和島を与えられてから宇和島入部までをご紹介します。

『秀宗』は1614年12月28日に将軍 秀忠から宇和島十万石の領地を与えられます。

翌年1915年の正月には、政宗は家臣の中から57名を選んで『秀宗』に仕えさせました。

これがいわゆる『伊達57騎』といい、騎馬隊と考えられています。

この57名は、大坂冬の陣の時から仕えている者、先祖代代伊達家に仕えている者、

政宗の正室愛姫の実家の田村家に代々仕えていた者など

由緒ある家柄の者たちで構成されており、宇和島では特別な家柄とされています。


宇和島に向けて出発する前日の2月27日、政宗は藩主となる息子『秀宗』に対し、

その心構えを論した『覚書』(おぼえがき)を託しています。

『覚書』とは忘れない様に書き留めておくための文書で、ここには5つのことが書かれています。

①藩主として取り立ててくれた将軍家(家康・秀忠)への御恩を忘れずお仕えすること。

②仕えてくれるものは大事にしなさい。但し罪を犯した者は許してはならない。

③いつも武芸に励みなさい。

④学問に励み、囲碁・将棋などもたしなみなさい。

⑤家臣の気持ちをくみとり、その考えを理解しなさい。

まさに、父『政宗』からの教えですね。

この書は5代藩主村候が書写したものも残されており、大事にされていたことが伺えます。


大坂冬の陣後、父の治める仙台には戻らず『秀宗』は京の都から

父政宗をはじめとする多くの者たちに見送られ1615年2月28日に出発しました。

道中、摂津国伊丹(現在の兵庫県伊丹市)を通過し、尼崎にて乗船し数日間の船旅をしています。

ちょうど乗船前の3月2日に父政宗から『秀宗』宛に一通の手紙が届き、

『秀宗』が3月5日に尼崎を出発すると聞いていることや、

「その頃は海上も穏やかであろう」と息子の船旅を気遣う親心なども記されています。

この手紙は、現在も伊達家に残っており、この手紙を通して当時の『秀宗』

宇和島初入部の様子が伝えられています。

父政宗の言葉通り『秀宗』は無事に船旅を過ごし、

3月16日に伊予国長浜(現在の大洲市長浜)に到着しました。

そこからは陸路を通り、大洲を通過した翌日には宇和で一泊し、

2日後の3月18日に晴れて宇和島に初のお国入りを果たしたのでした。

ここから、宇和島伊達家のはじまりです!



宇和島を元気に!
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